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一枚の布地で紡ぐ親子の絆


一枚の布地で紡ぐ親子の絆



そんなテーマを抱えながら4年が経ち、あらためて現状を棚卸しています。

今の思いをそのまま、記載してみたいと思います。

そして、最終目標としている

大人も子供も共に学び逢える場所創りが良い意味で振り返れるように




2020/06/21(Sun)大安 父の日に思う自分への棚卸




・どんなに販促へのご支援をいただき、認知頂ける事に繋がったとしても、

その後も継続出来るかは

本人の努力次第




・小さなコミュニティやチーム、家族経営などは、地域に密着した活動に

ならない限り、小規模事業者などの自営業者は、特に孤立する




・昨今では、国内でも困窮している子供達が多く、また、そうした子供達への

支援活動、寄付の場所は沢山あるけれど、その場その場、または、その時だけの

支援活動となるか?

子供さん達がせめて食べ物に困らない場所を維持する事に終始する事が多い。

それでも、そうした活動を継続する事だけでも、昨今は厳しい時代




・教育と言っても、親御さんが揃っている方々や、まだ余力がある場所では、

学べる機会が多々あるけれど、そうでない子供達は、学ぶ事も難しい




・自身の家族を見ていて思うのは、偏見問題による意欲の損失、

良い子でいる事、悪い子でいる事、我慢しすぎる事による疲弊から、自身の存在価値を

何にぶつけて良いかわからない、夢を見たくても、

地道な努力の先が見えない、小さな失敗からの学び、達成感を知らない、知る機会も少ない。

そんな子供達が多い。




・そんな社会の中で、いくら一緒に!という思いがあっても、どの場所でも、展示会や合同展は、

継続して活動出来る、地域に還元できる、自身で何かを完結できる人

以外には、集ってみたいと思って、集ってもらえる事はない。



・衣料品を継続して販売するためにではなく、衣料品を通じて循環しながら手仕事を

副業に出来るようなシステムと、場所を創る事=

「 大人の背中を見ながら子供達も学び逢える場所創り 」

そんな夢を思い描きながら、個々の長所を循環し合えたら嬉しい。

そうした場所は、誰も望んでいない、そう実感してはいても、

時折集う、プロジェクト形式での場所創りなら、お互いに切磋琢磨しながら

悩みを共有できる=望んでいるはず

そんな答えを自身の中で持っていたからこそ、3年ごとのプロジェクト形式での場所創りを

ある恩師の先生がいる学びから起案しました



・そうした思いと活動を知ってもらうキーワードにSDGsという概念は

近くもあり、遠くもあり、難しいキーワード

個々の生活にはあまりにも「リアル」でない問いかけだから

実際は身近な日常にある「リアル」なのに




・人が衣服を着用し始めてから「装う」という事が生活の一部となり

クリアーに自身を観れなかった水面ではなく、鮮明な鏡で自身を観るようになってから

人は心に響く布地=「纏う」事への欲求よりも、みせかけの布地を「装う」事の欲求へと変わった

そうした中、

今は逆に原点に戻るかのように、心の布地を「纏う」事から始まる「装い」を
求める心理へと変化してきている

単純に着飾るのではなく、内面の欲求や心身の状態を

表現するツールへと変化している表れ




・現代は、多用な場所、多様なライフスタイルが増えすぎて、伝え合う事が

難しくなっている時代のように感じる

特に、自由自由だと言うけれど、そういう場所ほど

どこかに属すべき!という「深層心理」が見え隠れする

そんな時代になっている

そうした深層心理を証明するかのように

昨今の「自由の国」での差別問題からも、人種を問わない「デモ活動」が起こった

そんな気がする




・そうした場所への不満=伝えたい、解り合いたい思いの吐口が、イラストや、絵画、

ファッション、音楽、手仕事などの創作に繋がり、地域らしい文化・技術の発展に

繋がってきたと感じる

「Fashion」、「lifestyle」製品の発展に伴い、

新しいカルチャーが生み出されてきたように



・今は、頑張れば頑張るほど、誤解を生む

自分の殻に閉じこもったままの家族を観ていると特にそう思う

そんな家族を観ていると

亡くなった父親は半身麻痺となり、手が動けなくても、家族のために

働いてきた意義も、意味を理解しない、そんな家族に怒りをぶつける事しか出来なかった

父の姿と、今の自分の無謀な活動への挑戦が

心理的に似ている

そうした思いを緩和させるのが、母や家族といいう守るべき存在である事は

ある意味

月と太陽の関係性のように思える




・戦後からバブル崩壊後の数年間の、下請け孫請けの小規模事業者は、

営業という活動は、ほぼ意味がなかった時代。

手仕事という技術だけで仕事をもらって、家族を養ってきた時代。

そんな時代では家族の悩みや葛藤を聞いてあげたくても、全く異なる業種の

世界に憧れる子に対して、悩みを聞く事も出来ず、対話さえも出来なかった時代。

そんな時代に必死に父親の役目=仕事をこなしてきた辛さも知らず、

聞こうともせず、聞いていても

心からは聴かず、心で観ようとも、体感してみようともせず、

自身にも問題があったと、責任感を持たない

そんな、自身の殻に閉じこもったままの家族への

教育としても伝えたい思いが

沢山ある



・今言えるのは、自分の出来る事、父から教わった事、

経験してきた事で、活動・表現する事でしか、

自分「らしく」伝える事は出来ない



・紡ぎたい方々とのご縁は、たとえ、小さな事であっても

自分だけで出来る事の結果、又は、コミュニティを形成しなければ

その次のステップ

共創・協業はただの甘え=自身の活動を楽にしたいだけ

そう思われるだけだという事

そのための活動が、今の共創・協業作品での出展という

逆からの伝え方は単なる「無謀」としか映らない



・モノづくりも人づくりも1人では完結できない

たとえ、1人で完結できているように思えるハンドメイド作家の方も

実際は、一人で完結出来ているわけではない

時間という余力はなくとも、食べていけるだけの支えてくれる家族がいる

健康な旦那様や、両親、または、シングルマザーであっても、生きようと必死になって

頑張っている子供の姿がれば、それだけで心の支えとなっているはず

そんな中で、パーツ一つ、リボンひとつ、自身の手で織ったり、

編んだ糸もつくらずに、既製品のパーツを使って

自身のオリジナルアクセサリー・作品と伝える表現に、自身的には疑問があった


だから見栄えではなく

母との手仕事での編み込みパーツや刺繍というパーツに

拘っていたが、直ぐに変形するパーツでこの価格?

という表現をする方々が多かった

そうした方々に問いたい


壊れにくいパーツで何を伝えたいのでしょうか?

長く使える良いモノの定義は壊れにくいモノ?という事だけなのでしょうか?


土に還る、繊細なモノを大切に扱う事、手仕事ゆえの

儚さや難しさを伝える事は不要=無縁となる事が

これからの未来創りなのでしょうか?


人=不完全である事を認め合う事の

意義を伝えるには、何かの数字や結果で観る事が

最も必要な事なのでしょうか?


それが本当の意味での

アート思考、デザイン思考なのでしょうか?


そうした問への答えは自分の心の中で見つけてみたいと思います


まだまだ未完成の循環型の場所創りは、ご縁を頂いた皆様と一緒に完成できれば

幸いです




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