「触覚=母の愛情」



新年あけましておめでとうございます

皆さまは、年末年始をどのように過ごされていますか?



私はこの度、貴重なご縁から

某大手百貨店様での催事に、伝統工芸士の皆さまとご一緒に出展出来る機会を頂きました

ただ、今回の出展では、伝統工芸士さん達のように歴代の工芸士の方々が紡いで

こられた高度な技法を用いたオリジナル作品は出展出来ませんでした

ですが、その出展で、得た一番の嬉しい出来事は、自問自答していた

五感のルーツを知る事が出来ました



知りたかった五感のルーツへの答え

そして自身が一番誇れた答えは、小さな、小さな、オリジナルの刺繍パーツを使った

手作りのアクセサリーへの思いでした。そのアクセサリーは、ベルベットと和紙のタッセル

オリジナル刺繍パーツを使ったキーチャームです


このタッセルは母が空いた時間に

毎晩夜なべをしながら1本、1本編み上げてくれました

また、そのタッセルを一緒に付けているオリジナル刺繍パーツは

見た目以上に時間を要したパーツでもあります

もともと刺繍機が1台しかないこともあり、たった24枚の刺繍パーツを

18時間かけて創り上げたモノでもあります


見た目は、一見、そんなに良いモノには見えないかもしれません


ですが、一枚の柄に3色の糸を何度も交換しながら、縫い上げていくには、ずっとその場で、

刺繍機の糸のかけ具合や、糸の変更を見守りながらでないと創作は出来ません

また、このパーツは催事の準備等で刺繍機を見守る時間もなく

毎晩夜遅くまで作業をする自身を按じてタッセルのリボンを編み上げてくれた

母の愛情が込められています


そして、そのパーツを金具で繋ぎ併せていく作業では

衰えていた母の指先の感覚=触覚が鍛えられ、思考力も上がって行きました

靴の縫製加工では指示書がなくても、簡単に縫製方法を見分ける職人の母ですが

今回のようにまったく事なる作業や、服地の縫製になると、1つ1つの工程を

言葉と実践で伝えなければ、何も手を付ける事が出来ない状態でした



特に間違ってはいけないと、言われた通りの工程以外、何も出来ない状態だった母

また、刺繍機が止まっただけで、直ぐに電話で呼び出す母でした

刺繍機が止まったのは、単純に糸のかけ具合が緩んでいただけ

工業用の縫製ミシンなら、直ぐに何処が悪くて、糸のかけ方がほんの少し緩んだだけで

糸調子がおかしくなるのを事前に感じ取れる母なのに。。。

いつも母の職人としての経験値に感動していた私自身が戸惑った体験でした



また、アクセサリーパーツを1セットづつセットしても、

見本の置き場所を見失った途端に伝えていたパーツの順番を簡単に間違える

母の状態に私は別の縫製作業も、Designの作業も、年賀状や招待状の

準備もままならない状態でした


まるで小さな子供につきっきりの母親のような感覚を体験させて頂きました


逆に母は職人として、また、母親として、娘を叱りながら伝えてきた親としての立場が逆転する

そんな辛い立場での作業でしたが、年末~元日まで休みなく作業に没頭してくれました

自身でも、ままならなくなった指先の感覚に嫌気がさし、縫製職人としての誇りから

衰えてきた自身の思考力も鍛え直そうと早朝から作業を行っていたようです

そうした母もまた、自身の髪を毎日結わえてくれた母(私の祖母)の指先を思い出しながら

互いに触れ合いながら感じてきた母の情を思い起していたようです



三つ編みに結わえていくタッセルを編み上げながら、母が語る話は

亡き母(祖母)に、教わった結わえ方や、草鞋などを、手作業で編み上げてきた

戦前の手仕事についての苦労話でした

そうした苦労話の中では、やはり、母の愛情について語る事が多いのは

私達親子だけではないように感じます

この世に生を受けた時から、常に触れ合いながら傍で見守ってくれるのは

やはり母親です


目もまだ開く事が出来ない、1人で動くコトもままならない赤子にとっては

母の肌に触れるコトが大切な道しるべになります

そうして触れ合うコトで愛情を感じならが母乳を探し取る

「嗅覚」鍛えます


また、母乳から得た栄養素を「味覚」で覚え、遠くにいる母の声を聴き分ける「聴覚」は

母がいつまでも来てくれない事で、自ら母を探し出そうと思考する事

「視覚」の能力を鍛え上げ、目を開ける事が出来ます

そうした母の愛情を全身で感じ取ろうとする行動が「触覚」以外の感覚も形成させ

人は成長していきます



そんな人の五感と共にもう1つあると言われている六感「心の感覚」について

ある有名な俳優さんが主演する洋画で知る事が出来ました

その洋画は人が生れてから老いていくまでの「生」への葛藤を

大人の体と子供心で表現していました

そんな極端な「比喩表現」を通じて人ならではの

「生」について問いかけてくれた映画でもありました



その映画では

人は年を重ねる度に体は老いていきますが、逆に心が子供に戻っていく

そんな現実を直視できない人の心の葛藤と

人が老いるというコトの本当の意味と意義を伝えてくれた映画でした



その映画を見終えた後、自身が感じたのは

いつまでも両親が大人として子供を守ってくれるわけではない

そんな大切な思いを伝えてくれていたように感じました



そして今回の催事に向けての作業で

私が一番心に残った母の姿もまた、いつも自身を守ってくれた母の背中ではなく

小さな子供のような背中でした



視覚による情報では母の姿は今も変わってはいないのに

子供に戻ったように不器用になってしまった自身の指先の感覚

そして、作業を覚える事、自身で考えて行動できなくなってきた事に苛立ちを覚える母の姿が

とっても小さな小さな背中に見え

なんともいえない悲しい気持ちになった年末年始でした



あと何年、こうして一時でも、母としての背中を見ているコトが出来るのだろうか?

もう何年ではなく、数か月だったとしたら?そう思うと、納期が迫ってきた作業よりも

母と一緒にゆっくりと静かな場所で、これまでの苦労を労ってあげたい

そんな思いに駆られました


手作業によるモノ創りはとても、時間がかかる作業です

今の現代には、必要とされていない方法なのかもしれません

アクセサリーパーツも数百円を支払えば、見栄えのよい既製のタッセルは

いつでも手に入れる事は出来ます


また、刺繍パーツのオリジナルに拘らなくとも、既製品や、外注依頼などで

自身や母の負担を軽減させて、見栄えの良い製品を組み立てる事は可能だと思います

ですが、今、日本の方々は、モノがあふれるほど豊かになったことで、家族との

触れ合いや、3世代での同じ作業を行う機会が、年々減ってきています



昔はお盆や年末年始は、どこの家での、家族総出で大掃除や買い物、家庭の味となる

郷土料理を、母から子、子から孫へと伝えれるように、同じ場所、同じモノを見つめ合い

触れあいながら、互いの苦労を感じ取る事が出来ました

そうした機会が年々減少して行くことで、本当の意味での「心の触れ合い」を見失い

老いる事で失うモノ、得れる思いを見いだせなくなっているように私は感じます



今の私の家族には、子供のような背中になっていく母を視る事も、知る事もなく

大きな壁を積み上げたまま、留まっている人もいます

いつになったら、そうした現実を心で感じ取ってくれるのか?

感じ取れる頃には、もう母は母でなく、子供になっているのかもしれません



残り少なくなってきた母との時間を少しでもゆったりと流れてくれるように、

「触覚=母の愛情」を心で感じて頂けるモノ創りを

これから皆さまにもご提供出来れば幸いです