「 触れ逢う心へのオマージュ 」

 

皆さまは、「触覚」、触れる感覚について、

問われたなら、何を最初に思い浮かべますか?

 

触れるというと、なぜか、モノに触れるというコトを

直ぐに思い浮かべてしまうのは、私だけでしょうか?

 

スマートフォンのタッチパネル、キーボード、ドリンクの

カップの取手、リモコン、鉛筆、ノート、消しゴム。。。etc

 

私が思い浮かんだ、触れるという感覚の中に、

何故か「人」はいませんでした。

 

そうした潜在的な「心」の感覚や、「それは違う!」

「そうではない!」と思っていた自身の自問自答への

答えを、今日はあたたかな「触れ逢い」を感じ逢う、

ワークショプで学ばせて頂きました。

 

その貴重なワークショップの先生は、視覚という障害を

克服され、健全な視覚を持つ自身が申し訳なくなるほど、

動きを交えたワークショップを開催して下さいました。

 

机と机の間を行き来される中、視覚の良い人でも、

話しながら距離を保ち、動きを交えての、ワークショップは

本当に難しいのですが、先生は一度も、机にぶつかることもなく、

また、参加者様の声だけで、ほぼ正確に、座られている位置を

把握されていました。

 

私達は、普段どうしても「視覚」という.脳に一番近い感覚に

頼りがちです。そのため、初めてお逢いする方との場ではノートや

メモが必要不可欠です。どの席に、どの方が座られているのか、

話された内容を質問の際に対応出来るようにメモを執る。又は、

書きとめ、後で見直せるように「記録」するコトに集中してしまいます。

また、メモを執らないと「本当に話を聴きに来ているのか?」という

表情で見られるコトが多々ありますので、必然的にそうなってしまう

のかもしれませんね。

 

ですが、今日参加された皆さまは、先生のお知り合いの方々が

多かったのも確かですが、どなたも、机の上に、メモやノートを

執ろうと準備されるコトがありませんでした。ワークショップ

開催前から、とても不思議でもあり、なぜか、ほっとした光景

でもありました。

 

私は、服飾の専門学校に上がる頃から、なぜか、メモやノートを

執るのが苦手でした。「記録」しても、その時の先生のお話の

情景を思い出せれる、キーワードをメモするぐらいで、どうしても、

その時の場の雰囲気、先生、同僚の方々の会話の内容、表情を観て

「記憶」するコトや、授業で使った布地の「触覚」を覚えるコトの方が

好きだったと「記憶」しています。

 

また、今でも対話をしている時に、メモをひたすら執って

いる方との会話、逆に、会話の中で、他者様から見聞きした

内容を踏まえながら、どんなに丁重な言葉使いであっても、

初めて体面した方に、もっとあなたのコトを知りたいという

大切な言葉「なぜ?」がなく、「こうあるべき」、「こう思って

いるでしょう?」という肯定的会話をされる方との対話が、

とても苦手でした。

 

冒頭でお話したように、「触覚」という感覚について、とっさに

思い浮かばなかった「人」、また、これまでの対話の経験では

意識して「記憶」しようとする「人」への思いのアンバランスさを、

今日は正していただいた様に思え、講義内容詳細は不参加の皆さまには、

お伝え出来ないのが残念ですが、ほんの少し、私が共感させて頂いた

学びをお伝えさせていただきます。

 

私にとっての身近な「触覚」は、本来は布地でした。

 

いつも、何百種類もある布地の見本帳から、指先で布地の

特性や、後加工、糸の打込み本数等を確認してきました。

 

また、立体製作(ドレーピング)の仮縫い工程では、視覚での

デザイン、丈バランスを確認した後、必ず、仮縫いの半身での

トワルであっても自ら試着し、着心地、アームホール

(肩の付根からの腕周り)の感覚(窮屈さや、動きづらさ)、

着脱時の問題点を「触覚」で感じ、伝えてきました。

 

そうした自身にとっての貴重な「視覚」、「触覚」を鍛錬する場は、

体調不良を起点に、少しの間、離れるコトとなり、PCなどを

使っての業務が増えるコトとなりました。

 

これまで、自身が一番適していた「視覚」、「触覚」を鍛錬する

場を失ったコトで、「人」への「記録」と、「人」への「記憶」

違いの葛藤が生まれたように、私は感じています。

 

その葛藤への答えは、今日、まったく知らない方と「視覚」を塞ぎ、

手を繋ぎ逢った時、先生がお伝えして下さった「触覚」の感じ方を、

学ばせて頂いた事で、得るコトが出来ました。

 

先生は、手を握って感じる温もりの「触覚」だけではない

大切な思いを伝えて下さいました。私が感じたその思いの例えは、

赤ちゃんが生まれて間もない頃、「視覚」がまだ定まらない中で、

お母さんの体温や母乳の匂いで母親を見分ける「触覚」だけではなく、

「視覚」があるからこそ、「心」で感じ取るコトを忘れているコトを知り、

「触覚」を通じて深く感じ逢う感覚=思い逢いのコトを伝えて下さった様に、

思っています。

 

また、それは思い逢い=「創造力」を養うコトの大切さを

伝えて下さっているように、私は感じています。

 

このお話から「創造力」を養うには「視覚」に頼らない思い=

「おもてなしの心」=「配慮」=「触覚」が必要だと、私は感じました。

 

逆に言えば、「配慮」を養うには、モノゴトを「想像」する力を養わないと、

いけないこと、また、そうした文化や機会が減っているコト、もっと、

視えない環境下で「想像」⇒「創造」するコトの大切さを感じました。

また、その為には、もっと、じっくりとモノ・コトを、深め逢える時間が

必要だという思いも、お伝え下さったように感じています。

また、私自身の慌ただしい現状は別として、「スローライフ」の大切さに

ついても、学ばせて頂いたように、私は感じています。

 

本来、人は、何事も「想像」しなければ、何かを創り出すコトも

出来ません。アスリートの方も、自身がトップになるコトを常に、

「想像」し、モチベーションを上げ、トップになるために出来る

コトを「創造」しながら、実現に向けて行動を起します。

 

起業家の方も同じですね。

 

そして、その「創造」を実現するためには、自身を支えて下さる

方々への「配慮」がなければ、達成することはありません。

 

ある起業家の方に向けた有名な書籍でも、家族あっての

事業だと伝えて下さっていました。その家族への「配慮」を

失えば、どれだけ優れたビジネスであっても、足元から崩れ、

大切な家族をも失うと、物語形式で語って下さっています。

 

そうした「人」と「人」との学び逢いで、一番大切な

「心」で思い逢う=「配慮」=「触覚」だと、私は感じました。

 

「触覚」は、感動を分かち逢うハグや握手だけでなく、互いの

「触覚」で感じた思いに触れ逢うことで、多くの情報を得ます。

また、そうした機会を大切にしながら、互いをもっと知ってみたいと

思う「心」が一番大切だと、学ばせていただいた様に、私は思っています。

 

今日、改めて学ばせていただいた

「心」で思い逢う=「配慮」=「触覚」は、欧米人の方が好む、

ハグなど、存在的価値を感じる=体温を感じる=「触覚」ではなく、

古来、日本人がとても得意としていた、相手の思いを汲み取る

「おもてなしの心」=「配慮」=「触覚」だと、私は思っています。

 

そうした、「おもてなしの心」は、控えめであるコトが美徳であり、

作り手の思いを汲み取るコトで、改善を重ね、モノ創り文化を育んできた

大切な思いに通じるものであるように思います。また、モノ創りを通じて

「触覚」で得る、思い逢いを大切にしてきたコトで、「視覚」に頼らない、

モノゴトの捉え方を継承してきたように思えます。

 

こうした思い逢いが、日本の文化であり、強みであるように、

私は感じています。この強みの結果として、人、モノ、コト創りでは、

欧米では考えられないほどの、細部に亘る、「おもてなしの心」=「配慮」が

育まれてきたように、私は思います。

 

有名旅館、ホテル、百貨店での接客=「おもてなしの心」は、

工芸品の細部に亘るコダワリ=「配慮」にも通じています。

また、歌舞伎、能楽など、音「聴覚」と、香「嗅覚」で感じ取る文化、

古来の宮大工による建築技法、金型職人の様に、㎜単位での技を誇る、

製造技法こそ「おもてなしの心」=「配慮」=「触覚」であるように感じます。

 

場の雰囲気を知る「音」は、家族、お客様の声のトーンによる気持ちの変化=「聴覚」、

場の雰囲気を知る「香」は、家族、お客様の汗から緊張感や環境配慮を知る=「嗅覚」

場に適した食や茶を提供する文化は、家族、お客様の体調の変化を知る  =「味覚」、

場に適した感動を提供するモノ創りは、家族、お客様の表情=思いの変化を知る=「視覚」、

 

こうした感覚の中で、多くの思いを汲み取り逢っていくために、一番大切な感覚が、

 

「おもてなしの心」=「配慮」=「触覚」だというのが、私の答えでもあります。

 

先生は、今の文化や、芸術品を伝える展示方法についても多くの

疑問を伝えながら、活動を行われています。その内容は、以下の

新聞記事に記載されていますので、もし、ご興味がございましたら、

図書館などで、ご拝読いただけましたら、幸いです。

 

先生のご活動と、「触覚」=「心」の触れ合いへの思いは、

自身が会場に伺う前に、自問自答してきた思いでもあります。

また、その思いは日本だけでなく、他国も含め、多様な文化や

技法を知り、継承し、ご縁を紡ぎ逢って行く中で、一番大切な

思い=感覚だと、改めて学ばせて頂きました。

 

特に、「視覚」に頼らない「触覚」による人、モノ、コトへの

「想像」~「創造」へのプロセスは、これからの時代、最も

必要不可欠なコトだと、私は思っております。

 

そして、冒頭にお伝えさせて頂いた、私の「人」へのアンバランスな

思いの答えは、やはり、モノ創りを通じて「人」と知り逢いたい、

理解し逢いたい思いがある中、モノ創りの場を整えるコトが出来て

いない現状を改善したい表れであり、今、自身にとって大切な「人」

との繫がり逢いと、不要なモノの整理が必要な時期に来ている、

警鐘であるように感じています。

 

やはり、

 

私はモノ創りを通じて、「人」と触れ逢いたいのだと、改めて感じました。

 

 

 

1:毎日新聞 2016年(平成28年)9月14日(水)夕刊ワイド

「無視覚流」で作品と対話 広瀬 浩二郎 准教授

 

2:京都新聞 2016年(平成28年)10月29日(土)美術

つなぐ×つつむ×つかむ 制作者の思い 追創作